板子一枚下は地獄

凪太です。京都にある大学院で学生生活の延長戦を過ごしてます。

上海協力機構~サマルカンド・サミット解説~

お疲れ様です。

 

 

9月15日~16日に、ウズベキスタンの首都・サマルカンドにて上海協力機構の首脳会合が開催されました。

www3.nhk.or.jp

 

ウクライナ侵攻を開始してから200日を突破し、ついにウクライナによる反撃で要衝を失ったロシア、その威信は地に堕ちたとも言われています。

そのような情勢下で、上海協力機構のような西側諸国からしたら馴染みのない国家で構成された国際機構による会合が開催され、何が議論されたのかを観察することは意義があると考えられます。

 

本稿は、主に上海協力機構の公式文書や報道(ロシア語圏を特に)から、今回のウズベキスタンサミットで何が起きたのかを整理することが目的としています。

 

上海協力機構とは?

そもそも上海協力機構とは何なのか。多国間協力枠組みの中でも知名度は低い方かと思います。

ご存じの方は飛ばして次にお進みください。

 

時代はソヴィエト連邦が存在していた頃に遡ります。

中国とソヴィエト連邦は長い国境を有しており、度々国境の策定問題で武力衝突に発展する事態も発生していました。

著名なのはダマンスキー島事件でしょうか。

 

ソ連が崩壊した際、構成国であった中央アジア諸国が独立を果たし、タジキスタンカザフスタン、クルグズスタンら3ヵ国は独立国として中国に接することになりました。

独立後間もない3か国が国境策定交渉を単独で行うことは困難*1であり、国境問題による対立を回避すべく「四プラス一(ロシア、タジキスタンカザフスタン、クルグズスタン+中国)」の枠組みが作られました。

これが上海協力機構の前身となる「上海ファイブ」となります。

 

これにウズベキスタンを加えた、計6ヵ国で上海協力機構が2001年6月に発足します。

当時締結された「上海条約」では「テロリズム、分離主義、過激主義」の「三悪」と呼ばれる非伝統的脅威に対抗する旨が記載されました。

国境問題から始まった上海協力機構は、イスラーム過激主義と対決するという目標を加え、地域協力枠組みとして発足したことになります。

それからは中国の圧倒的な経済力を背景とした経済協力プラットフォームとしても機能し、現在に至ります。

 

加盟国はこんな感じです。

加盟国

オブザーバー

対話パートナー

加盟申請中

中国

ロシア

ウズベキスタン

カザフスタン

クルグズスタン

タジキスタン

インド

パキスタン

アフガニスタン

ベラルーシ

イラン

モンゴル

アルメニア

アゼルバイジャン

ネパール

スリランカ

トルコ

カンボジア

シリア

エジプト

イスラエル

バハレーン

サウジアラビア

バングラデシュ

青:加盟国 ピンク:オブザーバー 緑:対話パートナー 黄:申請中

【2021年6月時点 筆者作成】

 

背景

今回の上海協力機構首脳会合を重要にさせたのは、ロシアの行動だけでは

署名文書

今回の首脳会合で署名された文書は以下の通りです。

Шанхайская организация сотрудничества | ШОС

 

サマルカンド宣言中では、SCO自体が他の国家や国際機関に敵対するものではなく国連憲章、SCO憲章、国際法に従うこと、テロ組織の共同のリストを作成すること、中央アジアをSCOの中核とみなすことなどが明記されました。

恐らく近日中に英語版が公開されると思います。

 

加盟国の変化

オブザーバーだったベラルーシとイランが、本格的な加盟に動くようです。

また、エジプト、カタール、バハレーン、UAEモルジブミャンマーが対話パートナーとしての地位を得るとのこと。

http://www.infoshos.ru/ru/?idn=31635

 

ロシア主導の協力枠組みであるCSTO(集団安全保障条約機構)に関して取りざたされていたカザフスタンの脱退ですが、カザフスタン外務省が明確に否定しています。

stopfake.kz

このサイト、カザフスタンの情報社会開発省の支援を受けて作られているそうです。

Это фейк.(迫真)

 

カザフスタンの2022年1月の動乱でCSTO部隊が派遣されたことはまだ記憶に新しいですね。

CSTOもテロ対策などの役割を担っているので、SCOの反テロ組織(RATS)と被るのではないかとも思いますが、加盟国による要請で実力組織を派遣する独自の役割を担うのであればSCOにはない要素を持つのではないでしょうか。

カザフの件は例外な気がする…

 

二国間関係の進展

中国-ロシア

今回の目玉である中露関係の進展。

クレムリンの公式発表を見てみましょう。

 

  • 誰かに押し付けられたわけではない、公正で民主的かつ多極的な世界秩序の形成を提唱する
  • ウクライナ危機に関する、中国の「バランスの取れた立場」を高く評価する
  • 一極集中を作ろうとする試みは、全く醜い形(абсолютно уродливое очертание)をしていて、地球上の大多数の国家にとって全く受け入れがたいものである
  • 一つの中国の原則を堅持し、台湾海峡における米国とその「衛星国家」による挑発を非難する
  • 年間貿易額を2000億ドル以上に増加させることを目指す
  • 文化・文明、外交指針、国家の発展のモデルが異なる国々が参加し、平等と相互利益、互いの主張の尊重、内政不干渉の原則に基づくSCOは、歴史的な多国間協力の有効な枠組みとなった

kremlin.ru

 

彼らのいう多極的な世界というのは、言ってしまえば二極構造でしかないのですが、様々なバックグラウンドを持ち、西側の影響力を排除できているSCOはこの理想に合致しているのでしょう。

 

また、上記の「衛星国家(сателлит)」とは日本のことでしょうが、自国の防衛を他国に任せているのであれば主権国家にあらず、という主張は一貫しているように見えます。

 

ロシアによるウクライナ侵攻で、中国は肩入れしないポジションを取っていることは日本のメディアでも多く扱われてきましたが、クレムリンはその立ち位置を好意的に捉えていることが伺えます。

 

今後の中露関係については、ウクライナでロシアが窮地に立たされようが、安定して継続するのだろうと思われます。

ロシアに失望した取り巻き国家が離反したとしても、中国の存在がある以上SCO圏内からは離脱せず「力の真空」が生じる可能性が低いと考えています。

一方で後述するタジキスタン-クルグズスタン間、アルメニアアゼルバイジャン間の武力衝突が、ロシアの影響力の減退によるものであれば話は別です。

はたして多国間国際組織の存在によってエスカレーションは避けられるのか、それとも効果はないのか。今後注目すべきだと考えております。

 

ウズベキスタン-ロシア

ウズベキスタンとロシアは、包括的戦略パートナーシップに関する宣言をしました。

貿易量は過去3か月で70%の伸びを示しており、多面的な協力関係は「かつてないほど高いレベル(на беспрецедентно высокий уровень)」に達しているとのこと。

Президенты Узбекистана и России подписали декларацию о всеобъемлющем стратегическом партнерстве

 

前カリモフ政権時には二回もCSTOを脱退しており、ロシアとは絶縁できないカップルのような距離を取るウズベキスタンですが、ミルジヨエフ政権になって以降、軍事協力には慎重な姿勢を見せつつその他の領域での協力は進んでいるようです。

 

クルグズスタン-タジキスタン

SCOサミット後に会談したクルグズスタンのジャパロフ大統領とタジキスタンのラフモン大統領が、停戦と国境画定のプロセスを加速させることに合意しました。

События - Официальный сайт Президента Кыргызской Республики

 

これで無事解決となればよかったのですが、現在も緊張状態が続いているようです。

eurasianet.org

 

アルメニアアゼルバイジャン

沈静化したように見える二国間の紛争ですが、支援要請に応じなかったロシアおよびCSTOに対するアルメニアの信用が損なわれたとのこと。

9月14日、アルメニアのパシニャン首相は、CSTOの集団防衛規定を正式に発動させ、軍事支援を要求していました。

eurasianet.org

 

結び

だいぶ駆け足になってしまいました。

本当はインド・パキスタン、イランあたりにも触れたかったのですが...

 

今回のSCOサミットでは久々の対面開催となり、ユーラシア諸国の結束が語られる一方で、前後で加盟国同士、対話パートナー同士が紛争を始めるというなんともな事態となりました。

 

アルメニアアゼルバイジャン間の紛争では、ロシアがアルメニアを見捨てることとなり、もはや盟主たる実力を失いつつあるとの見方もあります。

「西」のウクライナに気を取られ、「柔らかい腹部」とも形容されるコーカサス中央アジアでのロシアでの影響力が弱まっているのは、同意するところです。

 

中央ユーラシアに混沌が訪れるのか、それとも衝突を回避できるのかは重大な論点になるでしょう。

 

 

*1:岩下明裕. 2007.「上海協力機構と日本 ―ユーラシア共同体の構築に向けた連携―」岩下明裕編.『上海協力機構―日米欧とのパートナー―』 科学研究費基盤研究「ユーラシア秩序の新形成─中国・ロシアとその隣接地域の相互作用」(平成18-21年度)報告書.

短い梅雨と共に去る

疲れた……………(クソデカため息)

 

6月めちゃくちゃ忙しくて、何をやっていたのか自分でもよくわかってないです。

端的に申し上げると、来年度の就職プランの1つが派手な音を立てて崩壊しました。

 

相談に乗ってもらった皆々様のご期待に添えず申し訳ないという気持ちと、また就活とかいうコスパわるわるイベントをやらなくてはいけないのかという厭戦感情の高まりがあります。

 

同時に得たものが多く、またモラトリアムの延長(24卒にシフト)に伴って、今まで積んできた「やりたかったこと」に向き合えると考えれば、絶望一色にもなってません。

 

以下、近況報告兼現状の整理になります。

 

 

東京関西間ピストン輸送

民間企業(志望順位高めだけど選考進むとは思ってなかった)の最終面接や、某所の一次試験を受けるため、東京と関西を東海道新幹線でピストン輸送されていました。

 

深夜バスに乗っていた頃(あるいはケツの肉が取れる夢を見る不安なく乗れていた頃)は「新幹線なら疲れないんだろうな〜ブルジョワになりたい」と思ってましたが、新幹線でどれだけ楽に移動できても、頻度次第でなかなかに負荷がかかるということを学べました。

 

どんなことに対しても楽しみを見出すことで定評がある自分ですが、東海道新幹線の楽しみ方といえば車内販売のアイスクリーム(シンカンセンスゴクカタイアイス)とかコーヒーと一緒に富士山眺めることでしょうか。

コーヒーは回数券買うほどのヘビーユーザーになりました。

 

あと富士山を眺めるのは、次のキャンプに向けて機運を高めるためでもあります。

note.com

前回のふもとっぱらでキャンプした感想(移行前のリンクですみません)

 

研究進捗

マージで計画性ゼロなので、レジュメ作成で大慌てするの何も変わってないです。M1でしか許されないペースで書き上げたのですが、論文読めてない期間でも構想してた案を形にできました。よいフィードバックもいただけたと思います。

 

 

国家公務員総合職二次試験(人事院面接・政策討議試験)

今年の2月ごろから少しずつシフトしてコツコツ勉強していた総合職試験も一次試験を突破し、6月上旬に二次試験の後半パート・人事院面接と政策討議試験に到達しました。

手応え上々の感覚は間違いではなかったようで、無事に合格することができました。

政治・国際区分の出題内容が研究内容と近いことに加え、今まで触れてこなかった国際法憲法などを勉強するいい機会だと、ポジティブに捉えて臨めました。

一次試験含め、試験対策などはまた別の記事で書こうと思います。

 

官庁訪問

これが本題。来年度以降のキャリアプランというのは、総合職として官庁に勤めたいというものでした。

しかし結果は惨敗。一連の選考に関してはあまり詳しく書くつもりもないのですが、とにかく力不足ということと、一方で「これ出来レースじゃないか?」と疑わざるを得ない事象もありました。

筆記試験に合格すれば、官庁訪問に行く権利は今年度も含めて3年間有効ですので、来年度再チャレンジすることもできます。するかどうかは…分かりません…まだ何も言えません…

ペーパーさえ突破できれば面接も行けるやろとタカを括っていたのですが…説明会もかなりの回数出席していたし、WSも参加したのですが...

選考の過程で評価を上げきれなかったということなのでしょうか。

はあ~めんどくせ~基準があるなら透明化してくれよ。

 

結局どうするんだ

わ、分からない…

 

選考の過程で様々なバックグラウンドの方々とも話せたのですが、もう一年ぐらいチャレンジしてもよいかな、と思えるぐらい刺激を受けました。

何度も言うように現時点では何も分からないのですが、再チャレンジ自体に前向きではあります。

まず何が原因だったかを追究したうえで、改善できる可能性があればの話ですが。

 

(23卒としての)民間就活は官庁訪問の練習として挑戦していたため、途中で選考を辞退してたりあるいは企業研究足らずに切られたりと、現在はつるつるぴっかぴかのNNT(ないよぉ、内定がないよぉ)といった状態。

案外いいな~と思った企業もあるので、その辺はちゃんと対策して現在は結果待ちだったり、これから受けてみようかなと思ったりもしています。

 

もともと短い修士課程。そのうちの数か月を研究以外に費やしながら、どうにかこのロスを埋め合わせられないかと考えていました(自分で下した決断なのに!)

24卒に切り替えることにより、これからは修士論文に集中したうえで来年春に就活し、決まり次第積読を消費したりどこか放浪したりといった、贅沢な時間の使い方もできるのかもしれません。

 

あとは「浪人・院進に加えて休学もするのか??」という社会的要請という悪魔の声()を振り払うだけ。

 

そんな感じです。

京都に来るフォロワーの皆さま、声かけてくれたら嬉しいです。

だいじょうぶます。修論がんばるます。

 

 

 

 

『シン・ウルトラマン』を観た(ネタバレ有り)

こんにちは。凪太です。

 

『シン・ウルトラマン』を観てきたので、ババッと感想を書いていきます。

ちなみに1回目鑑賞時の前知識は以下の通り。

ウルトラマン作品はほぼ初めて

・リアタイでウルトラマンコスモス観たけどほとんど覚えていない

・樋口監督作品は初めて

 

まず最初に全体についての感想を。

 

うおおお!!!禍威獣かっけえ!!外星人かっけえ!!

樋口監督の演出は趣味全開と聞いていたのですが、バトルシーンはめちゃくちゃに暴れる訳ではなく、様々な制限がある中でウルトラマンが適した技を使ったり展開に持っていこうとする意志が見えてよかったです。

 

こう手放しで没入することが出来たのも、庵野監督がピックアップした5つの原作エピソードのチョイスが良いからだと思います。

登場人物の意図が分かりやすいので、引っ掛かりもなく没入できました。

初代ウルトラマンにも興味が湧いてくる。

 

シン・ゴジラと比較して

シン・ゴジラを期待してシン・ウルトラマンを観ると肩透かしを食うと思います。

では、シン・ゴジラとシン・ウルトラマンは何が違うのでしょうか。

監督が違うのだから差異があるのは当たり前ですが、世界観の違いは特筆すべきだと考えています。

 

シン・ゴジラは我々が住む世界にゴジラが来て、何もできない絶望と恐怖を味わうのが序盤の展開です。

一方のシン・ウルトラマンは、脅威が当たり前に来襲する世界で、ウルトラマンが禍威獣を倒す手助けをするところから始まります。

 

すなわち、シン・ゴジラの舞台は我々の住む世界と地続きであるのに対して、シン・ウルトラマンは禍威獣が日常的に在る空想の世界が舞台です。

「空想特撮映画」とサブで銘打ってるのは伊達ではないわけです。

 

シン・ゴジラを観ると、どうしても「今の日本にゴジラが来たらどの省庁が何を担当するのか」「うわあ、レクの準備大変そう」「ニュース映像リアル過ぎか?」とリアリティと共に、現実社会と関連した想像が浮かんでしまいます。

対してシン・ウルトラマンは、空想の世界だからこそ、個々の登場人物の感情や策略だったりに見せ所を持ってくる側面が強いと感じました。

 

つまり、シン・ゴジラは組織としての日本の可能性を、シン・ウルトラマンは禍特隊のメンバーとウルトラマン(リピア)の個としての愛や信頼に可能性を見出しています。

外星人が人間を見た感想として、群れをなすことについては度々言及されるところではありますが、作品主題としては群体の中の個にスポットライトを当てたのでしょう。

 

したがって、「ゴジラ・ドキュメンタリー」と「群像劇・特撮ドラマ」の両者には隔たりが無くもないと考えています。

 

ちなみに、赤坂さん(竹野内豊)が出てきてくれたのは最高でした。

シン・ゴジラでも政府の意向を組みながら巧みに立ち回るタイプだったので、そのイメージ通りの続投は嬉しかった!

 

ここ好きポイント

・禍威獣で好きなのはガボラです。ドリルが開いてご尊顔を見れるのは、使徒感があってよい...

 

・ザラブ戦は、パキパキしたツダケンボイスも相まって絶望感がありました。ビルをほとんど破壊しない空中戦と、あっさりした八つ裂き光輪フィニッシュ。

 

・メフィラス一番好き……山本耕史状態の、一ミリも安心できないのにどこかカリスマ性を感じる立ち居振る舞いがすごい。正体を現したフォルムの流線形も、簡単には勝てない敵感。

 

ご覧くださり、ありがとうございました。

「下の星マーク、noteのスキとどう違うのか分からないけど押してもらうと嬉しい」、私の好きな言葉です。

外部の大学院に進学して1年何とかした話

お疲れ様です。凪太です。

新しい年度が始まって1ヶ月。GW、いかがお過ごしでしょうか。

学部時代を過ごした大学を離れて、関西にある大学院の博士(前期)課程に入学して1年経ちました。

周りの友人や先輩のサポートのおかげで、正直途中でドロップアウトするだろうと思っていた大学院で何とかやっていくことができました。

Twitterのフォロワーの皆さまにはこの場を借りてお礼申し上げます!

 

本稿では、備忘録として(あるいは大学院に入るとどうなるのかを知りたい方の一助になることを期待して)1年の生活を振り返りつつ、獲得したスキルや明確に成長した領域を明確にすることで、現在進行形の就活に資することを期待しつつ、試験勉強から逃避するために書き遊ぶものです。

加えて人文学・社会科学系で大学院に進学する人が少ないため、これから書く内容に希少価値が生まれるのかもしれません。

 

そもそも何を研究しているん?

ソヴィエト連邦崩壊後の中央アジア地域を含む国際機構の発展と、ある加盟国の関係性の変化を調査しています。どの分野で協力が進んだのか、また加盟国の外交政策の方針の変化の要因を突き止めます(目標)

領域としては国際関係学になるとは思いますが、所属している大学院で授与される修士号は地域研究になります。

自分が根差しているディシプリンと、所属している大学院の推進するディシプリンにギャップが存在します。このギャップはプラスに働いた側面もあれば、マイナスとまでは言いませんが、環境に違和感を感じることがありました。

 

生活と研究

初めての一人暮らしと初めての関西、初めての大学院…と初めて尽くしでとにかく疲れた印象です。でも適応力の高さは自分の取柄で、すんなり馴染めたのも事実。

 

とはいえゼミ発表で求められる水準が高く、ついていけるレジュメを作成するごとに精神をゴリゴリ削られ続けました。

大学とは違い、研究科の先生が一堂に会する場での発表がスタンダードです。弊研究科が特殊なのかもしれませんが。

先輩や同期を含めると、一回のゼミで集まる人数は40人近くになることもあったと記憶しています。もはや大きめのワークショップ。

学部時代は少人数のゼミだったため、慣れない大人数の前での発表で毎回緊張してました。

前期は3回発表があり、初回の研究計画発表と2回目の発表で強そうな先生からグサグサ刺されたので凹みました。

徹夜して完成したレジュメ眺めて「う~ん、完璧!w」って上機嫌になっては、いろんな人からの指摘で難しい課題がボコボコ生まれてくることが分かって落ち込む、を繰り返してました。よい経験。

 

大学と同じように、講義もありました。大半がゼミ形式ですので、自分の当番が研究発表のタイミングと被ると地獄です。

スケジュールの管理という点でもだいぶ鍛えられたと思います。気を抜くとサボりがちな自分でも、同じ週に発表が詰まっていれば動かざるを得ないのですが、土壇場に強い自分を知ることができました。書いていて気がついたのですが、この一年間、期日を破っていません。偉くね?この徳を称えて寺を1つぐらい建立してもバレへんか。京都やし。

 

京都という街が気分転換には事欠かないという強みを持っており、それにだいぶ救われました。

自分の趣味の根幹をなす、喫茶店巡りが最高にハマる街というのが大きかったです。週1で新しいお店を開拓してました。愛車のクロスバイク(Liv Escape)を乗り回して、面白そうな喫茶店があれば突撃し、知らない寺院仏閣があれば、日本史の勉強だと言って見学したりしました。

 

同期や先輩と気軽に話せる環境があることにもだいぶ救われました。

院生が管理する部屋には冷蔵庫があり、そこには大変な量の酒が貯蔵されているので、それを飲みながら朝まで研究の話だったり、その他もろもろの話だったりをしてました。

弊学には2つの有名な寮があるので、そこに入寮している院生も多く、寮のカオスさが院生室にも伝播しているようでした。

良くも悪くも人との関わりを重視する環境で、「研究は孤独だからな」という脅し文句を真正面からぶちのめす雰囲気は好きです。人間は孤独だとズレていってしまいますから、会話してニュートラルに戻す環境があると安心です。

このあたりの雰囲気はかなり大学・研究科ごとにも違いがあると思います。

もしこれから入院を検討される方がいれば、説明会をはじめとした場を利用して、院生に雰囲気を聞いてミスマッチを減らすことを強くお勧めします。

 

満足していること・不安なこと

環境の良さには大変満足しています。

まず資料へのアクセスの良さが挙げられます。都内の私立出身の自分からすると、各学部に図書館があるのが新鮮でした。お気に入りは法学部の図書館です。

加えて、業績を作るラインが整備されているのも強みでしょうか。学内誌に投稿するイベントが発生するので、学振の申請までには業績リストがそれなりに埋まります。

例え修士で出るにしても、自分の執筆したものが本の形になる経験を積めるのは貴重かと。

 

学費免除などの支援も充実している(なお大学院生は対象にならない高等教育支援制度)ので、文句なし?細かい不満は身内の飲みの場でこっそりしばいているので、書くほどでもないかなと。

 

強いて挙げるとするなら、M2で就職イベントを消化しなければならないことでしょうか。これは修士課程で就職する人みんなが抱える悩みかと思いますが、時間がない。構造的な問題だと思います。

でも周囲にはM1の秋に内定を決めている人もいたり、数週間でスピード決着している人もいるんですよね。ふふっ、自分そんな器用じゃないから人には人のペース大丈夫焦ってない焦ってない

 

とはいえ、M1の1年間でできることなんて限られてるのは事実です。研究計画練ってゼミ発表準備しているだけで余裕で1年間過ぎ去ります。

そんな中で、果たして自分に研究への適性の判断・興味のある領域を理解して進路を決められるのでしょうか。悩みながら進むしかないのか…!

博士後期課程に進む友人が、学振の提出に向けて目まぐるしく研究計画の内容を根本的に変えたりしているのを見て、就職するにしろ博士への道を進むにしろ、修士課程が短いのは普遍的な悩みなのではないかと感じます。

 

時間がないのはみんな共通で、もしやりたいことがあるならさっさと同時進行で進めた方がいいという雑な結論に至りそうです。

「これが終わったら〜〜に集中できる」という淡い期待を、様々な締切によって打ち砕かれてきました。どうせなら課題も娯楽も勉強も積読も、とっとと手をつけてしまうのがいいのかもしれません。完璧主義をぶっ壊す。

 

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

残りの1年頑張ります。

『ジャミリャー(Джамиля)』を観た

2021年12/10~12/16まで出町座で開催されている「中央アジア今昔映画祭」に赴いてきた。

trenova.jp

今回見たのは『ジャミリャー(Джамиля)』という作品。

1968年にクルグズスタン(キルギス)で公開され、原作はクルグズスタンの国民的作家のチンギス・アイトマートフによって執筆されている。

 

舞台はソ連の一部となったクルグズスタンの村。

第二次世界大戦が開戦し、村の成人男性は徴兵されている様子がうかがえる。力仕事の担い手が慢性的に不足しているようである。

コルホーズ(集団農場)での生産ノルマに追われつつも、広大な草原や馬や羊などの家畜とともに生活している人々の姿がありありと描写されている。

 

以下、中央アジア今昔映画祭の公式サイトにあるあらすじを記載する。

出征した夫を待つジャミリャーは、夫の弟である少年セイトたちと暮らしている。彼女のことが大好きなセイトは、男達が近づくと割って入り邪魔をする。彼女は悲しみと孤独に苦悩しつつも明るく振舞っていたが、村に負傷兵ダニヤルが現れ、心が揺れはじめる。やがて二人の魂は結びついていき…

 

少年セイトはおそらく10歳~12歳ぐらい?義理の姉であるジャミリャーに初恋している、純朴な少年。

当初セイトはいきなり現れたダニヤルにちょっかいをかけたりするのだが、夫の手紙に自分の記述が少なく心配になっているジャミリャーがダニヤルの真面目さに惹かれ、セイトも寡黙なダニヤルを心配し始めたりする。

ネタバレになるのだが、夫が帰ってくる日にジャミリャーとダニヤルは村を出奔し駆け落ちする。

2人が去っていく姿をみたセイトが、そこで初めてジャミリャーに恋していることに気づき、草原で号泣する…

 

いやキッツいな...……(最近は脳が疲れてハピエン作品しか受け付けないので)

 

しかもその後、村ではジャミリャーとダニヤルを捜索(2人のためではなく、村の沽券のため、詳しくは後述)しようとするのだが、セイトは兄(ジャミリャーの夫)に殴られても彼らの居場所を言わなかった。

セイトは2人の幸せを願っていたのである。

セイトは画家を志して村を離れ、物語は終わる。

 

ちなみになぜ村の人々がジャミリャーの駆け落ちに怒ったかは、ジャミリャーが他の村から嫁いできたという背景にある。中央アジア遊牧民における結婚はいわば村同士の契約に近い側面があり、しかも村の男性が裏切られた形になれば、面目は潰れてしまう。このため、村の人々はダニヤルに対して殺意をもって捜索していた。

このあたりの文化は、森薫の『乙嫁語り』で非常に楽しく知れる(筆者は厳密な知識を持ち合わせていないため、これから勉強していく所存である)

 

ソ連時代の映画なんて見たことがなかったので、正直見くびっていたがその認識を改めざるを得なかった。躍動し、草原を駆ける馬になんとか食らいつこうとするカメラワーク、緊迫感のあるシーンの演出、出演者の演技など、すべてが高レベルだった。

いきなりクルグズスタンの国民的英雄「マナス」が出てきたりして、ナショナリティに訴えかけてくる描写もあるのは面白かった。

 

なお、版元のモスフィルムの公式YouTubeチャンネルで全編アップロードされているので、気に入った方はぜひ!

www.youtube.com